ラルがんばれ! 1
---ある夜のお散歩
ボクはいつものように、ママとお散歩に出かけた。
最近、ボクの“引っ張りグセ”が少しマシになったと、
歩きながらボクに話しかけたママは喜んでいた。
ママはそのとき、
ボクがおじいさんになったときのことを想像していたらしい。
おじいさんになったボクをお散歩に連れ出し、
「若いころのアンタは、引っ張って引っ張って大変だったんだよ。」
そんな風に話しながら歩くのかなぁって、思ってたんだって。
ボクはママがそんなことを考えてるなんてぜんぜん気づかずに、
できるだけいい子にして、引っ張らないように歩いてたんだ。
だって、あんまり引っ張ると、ママにグイって引き戻されて、
ボクは首が絞まって苦しいから、
なるべく引っ張らないようにしてるんだ。
苦しいのはやっぱりイヤだからね。
それに何より、そんなときのママはとっても怖いんだ。
でも、猫が目の前を走っていってボクをからかったり、
よそのワンコがメンチ切ったときなんかは、
タマがなくったって、一応オトコだから、ヤラれっぱなしでは済まさない。
モーレツに怒って追いかけたり、吠えまくったりしてやるんだ。
そんなときはボクはつい、ママを思いっきり引っ張っちゃうんだよなぁ。
後でこっぴどく叱られるんだ。
おまけにその後は無視さ。
この“無視”がこたえるんだよなぁ。
その夜はお散歩の途中で、
なんだか知らないけど、ソワソワしてきた。
何か楽しそうなことが近くであるような気がしたんだ。
いつもはママの言うとおりの方向へ行くんだ。
ママの言うとおりに歩かなかったら、
「こっちだよっ!」って、横っ腹を軽く足で蹴っ飛ばされるからね。
もちろん、痛くはないけど、
蹴っ飛ばされるのは、あんまりいい気分じゃないから、
ちゃんと言うことを聞くようにしてるんだ。
そのとき、ボクはどうしても左に曲がりたくなった。
このときのママはなぜだか優しくて、
「いいよ」って言ってくれたから、
そのままズンズン歩いていった。
ママをちょっぴり引っ張りながらね。
夜なのに向こうから、人がたくさん歩いてきた。
いつもはこんなに人と会わないのに。
ボクは知らない人が怖いから、
あんまり人に会いたくないんだヨ。
あれあれ?
小さな子は、なんだかヘンテコな服を着ている。
オシリの上にヒラヒラと大きなリボンを結んでいるよ。
ボクは何も聞かなかったけど、
ママがあれは浴衣だと教えてくれた。
ママが言った。
「お祭りあっちだね。行ってみようか?」
お祭りの夜店には、
ボクの人間のお姉ちゃんやお兄ちゃんが遊びにいってるから、
探し出して、みんなをビックリさせようってママは思ったらしい。
ボクらが歩いていくと、
人がどんどん増えてきて、
お祭りの会場がだんだん近づいてるみたいだった。
「こっちだよ。」
ママがそう言った方には、ものすごくたくさんの人がいて、
正直言って、僕はそこを歩くのはイヤだった。
だって、ボクは、
知らない人が近くにいるだけでドキドキするんだもん。
たまに、「かわいい」って言いながら触られたりするんだけど、
いつもボクはびっくりして、そこから逃げ出したくなるんだ。
でも、ボクはママが大好きだし、
置いて行かれるのもイヤだから、
ビクビクしながら、ママに付いていったんだ。
ママは時々振り返って、
「大丈夫だよ。」って言ってくれたしね。
ママに付いて歩いていくと、
車輪の付いた大きな家みたいなのが、
ひとつ、ふたつ、停まっていた。
一番向こうにあるやつは
僕らが進む方向と同じ方向に、ゆっくり動いていた。
そこは活気に満ちあふれていて、
たくさんの人が、大声を張り上げながら、
車輪つきの大きな家を動かしているみたいだった。
周りの人は、みんなその車輪つきの大きな家を見上げて、
ワァワァ、キャァキャァ、歓声を上げていた。
でも、ボクにとってはそんなことはどうでもよくて、
早くここから遠ざかって、いつもと同じように、
ママと二人きりでお散歩をしたかった。
だって、ママは、ボクにいろんなことお話しかけてくれるし、
ママの言うことがちゃんとできたら、
おやつをくれるんだもん。
ママが「サイド」と言えば、
ちょっと前を歩いていても、すぐに戻ってママの横を歩くんだ。
そしたらママは「いい子♪」って言って、
小さくちぎったジャーキーを、ボクの口のそばに持ってきてくれるから、
すかさずパクリと食べるんだ。
ママがどんどん進んでいく方向には、
さっきよりもっと人がいっぱいいて、
さすがのママも、これ以上は進めないと思ったらしい。
ちょうどそこには右に曲がる道があったから、
ママは人ごみを押し分け、右に曲がろうとした。
「ラル、おいで!」
(ママ、そんなに簡単に言わないでよ。
ボク、そんなに人がいっぱいいるところ、怖くて通れないよ。)
ボクがなかなかついて来てくれないから、
ママはボクにつながったリードを引っ張った。
ボクはそれでも動かなかった。
するとさらに、
ママは後ろを向いて、力づくでボクを引っ張ろうとしたんだ。
そのとき、ボクは誰かに体を触られた。
わざと触ったのか、当たっただけなのか
ボクにもよくわからなかったけど、
とにかく、ボクはびっくり仰天して、
ママが行こうとしている方向とは反対に向かって走り出してしまった。
ボクが急に走り出した時、
ママはいつも、どんなときでも、
チカラコブができるたくましい腕で、ググッとリードを引っ張り、
ボクはいつも止められてしまう。
でも、このときばかりは、ママも後ろを向いていて、
とっさに引っ張ることができなかったらしい。
ボクは逃げた。
だって、怖かったんだもん。
逃げたのは良かったんだけど、
逃げた方向が悪かった。
さっきは遠ざかっていってたはずの、
車輪つきの大きな家が、
気がつくと、逃げたボクに向かって走ってきた。
後ろからはママと、ママを追いかける大勢の人が、
ものすごく恐ろしい形相で追いかけてくるし、
前からは車輪つきの大きな家が、
大勢の人と一緒に走ってくる・・・
たくさんの人がボクに向かって押し寄せてきて、
怖くて怖くてしかたがなかった。
ボクは逃げ場を失ってしまった。
「ラルゥーーーーーーーーッ!」
ママが叫んだ。
ママは車輪つきの大きな家にぶつかりそうなボクを助けようと、
走ってきてくれたんだ。
なのに、ママは走るのが遅かったんだな、きっと。
ボクのところまで、
あと10センチでたどり着きそうなところまで来たのに、
後ろから追いかけてきたたくさんの人に捕まえられ、
ものすごいスピードで、ママは後ろに引っ張って行かれた。
ビューーーンって飛行機みたいにね。
ママは、ジタバタしていた。
自分を引っ張るたくさんの手を振り解こうと、必死でがんばったんだって。
ボクのところにきて、ボクを守りたかったんだって。
でも、誰もその手を離してくれなかった。
当たり前だよ。
離したら、ママが死んじゃってたかもしれないんだから。
ママは、「犬がぁーーーーっ! 犬がぁーーーーーーーっ!
助けてーーーっ!」って、叫んでいた。
犬ってボクのこと?
ママが飛行機みたいになっているとき、
車輪つきの大きな家がボクに覆いかぶるように迫ってきて、
ボクは引き倒されてしまった。
足が挟まってものすごく痛かったけど、
ずっとママの方を見ていた。
「ママ、ママ助けて!」って思ってたんだよ。
でも、オトコだから、鳴いたりはしなかったよ。
まわりで、「止めろっ!止めろっ!」って声が交錯して、
車輪つきの大きな家は、やっと止まった。
ボクはものすごく足が痛かったけど、
とにかくその場から逃げ出したくて、
なんとか、その場からすり抜けることができた。
そして、大きな男の人の背中を踏ンずけて
走って逃げたんだ。
でも、ボクはつながったままだった。
ママはボクにつながったリードを放してなかったんだ。
持っていたボクのウンチの入った袋は、放してしまったけどさ。ハハハ
ボクはそれ以上逃げられない。
だけどまた、たくさんの人がボクを囲もうとしている。
ママはボクの足からいっぱい血が出ていて、
たいへんなケガだと気づいたみたいだった。
でも、ボクはとにかく逃げたかったから、
最後の手段にとっておいた方法を試してみた。
耳を倒し、頭を低くして思いっきり首を振り回してみた。
すると、ママはきつく締めたつもりの首輪だったけど、
スルリと抜け出すことが出来たんだ。
痛い足を地面に付かないようにしながら、
ボクは3本の足で、出来るだけ遠くに逃げた。
人のいないところに、行きたかった。
一人ぼっちになりたかった。
ママには一緒にいてほしかったけどね。
でも、ボクは足がとても痛くて、
あんまり遠くにいけなかったんだ。
それに大好きなママの顔からも、
いっぱい血が出ていて、心配だったしね。
ボクはひとりで、このあとどうしようかと
迷っていた。
そのあいだ、血だらけのママが、
一生懸命ボクを探してくれてるなんて、
気づきもしなかったよ。
ママは、周りの人から、
「じっとしてろ!救急車を呼んだから!」って、言われたけど、
「犬がケガをしてるんです。早く捕まえないと大変なのっ!」
そう言いながら、僕がどこに走って行ったか、
周りの人に聞きながら、探し歩いていたんだって。
しばらくしたら、ママの声がした。
いつものママの声で、
ボクにコマンドを出すときと同じ言い方で、
「ラルフゥーーー、カーーーーーームッ!」
「ラルゥーーー、カーーーーーームッ!」
「ラルゥーーー、カーーーーーームッ!」
こんな風に言われたとき、いつものボクなら、
飛んでママのところに行く。
だって、時々だけど、
「よくできたね♪」って、おやつをくれるんだもん。
おやつにありつけるかどうかわからないから、
いつも、とにかくママの所に一目散に駆けていくんだ。
でも、今日のボクは、そうしなかった。
【しなかった】というのはあんまり正しくないな。
できなかったんだもん。
ママのそばにはまだ、知らない人がたくさんいたし、
足が痛くて、歩くのが辛かったしね。
大きな道路の真ん中でどうすることも出来ずに、
ボクは立ち尽くしていた。
すると、ママは、後ろからワラワラ付いてくる人たちに
「誰も来ないでっ!」と一喝した。
そりゃぁ もうびっくりしたよ。
あんなに真剣なママの顔見たのは初めてだったから。
道路の真ん中だったのに、
ママの声にびっくりして車も止まっちゃったんだな、きっと。
誰もいない、ボクとママだけが道路の真ん中に立っていた。
ママは、ボクを怖がらせないように、
ゆっくり、ゆっくり、ボクのところに歩いてきてくれた。
他に誰もついて来なかった。
やっとママがボクのところにやって来てくれた。
ボクはまたママに会えたのがうれしくって、
どうしていいかわかんなくってじっとしていたら、
ママはしゃがんで、ボクの首をしっかりと抱きしめ、
「怖かったね、もう大丈夫だよ」って言ってくれた。
ボクは心の底からホッとした。
いつもなら首に抱きつかれるのはあんまり好きじゃないから、
すぐに振りほどくんだけど、
このときはママに抱かれるのがとても心地よくて、
ずっと抱かれていたい気分だった。
ママはボクを抱いた腕をほどき、
外れた首輪を優しくつけなおしてくれた。
ママの手はちょっぴり震えていた。
ボクの足をみて、ママはケガがたいへんだと再認識したらしい。
「ガンバッテ歩いてね。」そう言って、
ボクをつないだリードを引いてゆっくり歩き出した。
幸運なことに、目の前には、
数日前に初めてかかった動物病院があった。
新しくできたその病院は、
ボクがいつも通っていた病院より近かったのと、
こないだ、たまたまいつものところが休診だったから、
体にブツブツが出来たボクを、
連れて行ってくれたばかりだったんだ。
ママはそこに連れて行こうと思ったらしい。
動物病院の前まで行ったけど、
時間が遅かったので、病院はもう閉まっていた。
ママはボクのキズを心配して、
そばに付いていてくれたおばさんから
サラシをもらい、おばさんと一緒に
グルグルと足に巻きつけてくれた。
そこへママのケガを心配した人が、
呼んだ救急車が到着した。
ママは、「自分のケガなんか後回しでいいから」と言い、
救急隊員さんに、
ボクのために「包帯を分けてほしい」とお願いしたみたいだった。
包帯は分けてあげてもいいけど
「我々は手当てすることができない。」と言われ、
ママは、(もっともだ!この人たちは人間専用だモンね)と納得したらしい。
ママはパパに電話をして、
“動物救急診療所”にボクを連れて行ってもらおうと連絡をしていた。
余談ではあるが、
いつも机の上がぐちゃぐちゃで、
何をドコになおしてあるかなんて、
ママはテンデ覚えていない。
「あれがない、どこだ、どこだ!」と、探しまくっていることは、
日常茶飯事だ。
動物救急診療所の連絡先がドコに書いてあるかなんて、
ママが覚えていたとしたら、それは多分奇跡だ!
なのに、ママはパパに、
「テーブルの一番左の引き出しに入っている、
黒いポーチの中に、
北摂動物救急診療所の連絡先を書いた紙が入っているから・・・」
奇跡だった。
ママがあんなに的確に、なおした物の場所を言えるなんて!
「そこになかったら、もうわかんない」とも言ってたけどね。
ママらしいや。
後で知ったことだけど、
ママは、いつも頭の中でシュミレーションをしていたらしい。
ママは少し前まで、喘息がひどくて、
お散歩の途中で、歩けなくなるときが時々あったんだ。
自分が歩けなくなったときに、
もし誰かが救急車を呼んでしまったら、ボクをどうすればいいかとか、
逆に、ボクがケガをしてしまったら、一番に誰に連絡して、
どうやってどこに運んだらいいかとか・・・
ママは、心配性なんだよ。
普通、
「それはありえないよ。
あったとしても、それが起きる確率が、
いったいどれほどあると思う?」
っていうようなことを心配してしまうんだ。
でも、幸か不幸か、それが役に立ってしまった。
そうこうしていたら偶然、
目の前の動物病院の先生が外に出てきた。
サラシをくれたおばさんが事情を説明したら、
ボクを診てくれると言ってくれた。
ボクはなんてラッキーなんだ!
遠い動物救急診療所まで行ってたら、
ボクは弱ッチイから、死んじゃってたかもしれない。
ケガのせいじゃなくて、ショック死ってやつだね。
ああ、でも少なくとも、ケガの具合は確実にひどくなっていただろうな。
だって、車に乗るときに多分、暴れたくなっただろうから・・・
ママを運ぶための救急車は、
早くママを連れて行きたかったみたいだけど、
ママは、ボクを先生に託すまでは乗らないと言い張り、
救急隊員さんも、「少しだけなら」と待っていてくれた。
すぐに動物病院の先生や看護士さんが病院の中から大勢出てきた。
こないだ初めて会ったばかりの先生もいて、
心配そうな顔で現れた先生に、
ママは「あっ、どうも・・・」なんて言っていた。
もうちょっと気の利いた言葉はなかったの?ママ。
病院の待合室に明かりがともり、
ママに導かれながら、大勢の人とともに、
ボクは、診察室に連れて行かれた。
ボクは病院があんまりスキじゃない。
知らない人に体を触られるし、
なんだか痛いことをされたりするから
だから入り口で、ちょっぴり踏ん張って抵抗してみたけど、
あっさり引っ張られて、
ボクの抵抗は、あっけなくかわされてしまった。
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